瀬戸大也選手の実家はどこにあるのか、実家の場所や住所について、また家族構成についても調べてみました。
お父さんの職業については、居酒屋説やパイロット説も浮上しています!
真相はどっちなんでしょうか?
ここまで瀬戸大也選手が強くなったのは両親のとある教育方法が関係していました!
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瀬戸大也の実家の場所や住所はどこ?毛呂山?
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瀬戸大也さんの実家の場所ですが、瀬戸大也さんは埼玉県県出身、埼玉県の入間郡毛呂山町に住んでいました。
また出身中学は、埼玉県毛呂山中学校で、出身小学校は埼玉県毛呂山町立泉野小学校でしたので、実家も埼玉県毛呂山町で間違いないでしょう。
不倫騒動の前までは優佳さんはお子さんを連れて、瀬戸大也さんの実家に遊びにきている姿が幾度も目撃されています。
皮肉にも瀬戸大也さんから不倫の事実を打ち明けられた時も、優佳さんは瀬戸大也さんの実家に遊びに来ていた時だったのです。
馬淵優佳さんと瀬戸大也さんのご両親の仲も良くて、孫の成長を見せに優佳さんも実家に1人で遊びに来ていたそうですよ。
優佳さんについては、実家の両親も瀬戸大也さんにはもったいないくらいいいお嫁さんとべた褒め状態で嫁姑関係も良好です。
しかし瀬戸大也さんの不倫騒動後は明るかった実家も常にシャッターが降りたままなんだそうです。
瀬戸大也さんは国民的人気のスイマーですから地元ではかなり有名人ですよね。瀬戸大也選手の応援する会なども発足していたので、両親も合わせる顔がないと週刊誌が報じています。
瀬戸大也選手の実家の詳しい場所は伏せられていますが、近所でも町内でも有名といいうことです。
瀬戸大也選手の家族についても紹介します。
瀬戸大也の実家は居酒屋経営は本当?父親の職業は?
瀬戸大也選手の実家は居酒屋経営者?という情報がありました。これは完全にデマ情報で違います。
調べてみると、「本田航空」所属のパイロットをしているとの情報がありました。パイロットってすごいですよね!
瀬戸大也の父親は元アルペンスキーの選手
瀬戸大也選手の父親は元アルペンスキーの選手をしていまいした。名前は瀬戸幹也さんです。
年齢は54歳です。
アスリートとして、息子の瀬戸大也選手の水泳練習にも力を入れて、サポートして、勝負に勝てる強い心・精神力を幼少期から叩き込みました。
瀬戸大也選手は幼稚園のころから、できない・無理という言葉は絶対に言わせませんでした。
きっとお父さんも選手時代はそうやって自分に厳しく勝負してきたのでしょう。
瀬戸大也選手はお父さんにメンタルを強化され、どんな時も「ヤダ・無理・ダメ・できない」という言葉は出さずに常に前を向いて、自分にはできる!と思って育ちました。
この強いメンタルのおかげで幼稚園のことから瀬戸大也選手はオリンピック出て金メダルを取る!と宣言していました。
こんなに子供に一生懸命向き合ってくれる父親がいて最高ですよね。また父親の幹也さんは、大也さんのために水中の鏡を作りました。
水中の鏡とは、プールの底に鏡を敷いて自分のフォームを確認できるようにするものです。
お父さんは手作りでこの水中の鏡を作ってしまいました。それだけ息子の可能性や水泳選手としてのセンスを信じていたんですね。
瀬戸大也の母親の職業は?どんな人?
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瀬戸大也選手の母親は瀬戸一美さんです。一美さんの職業について調べてみましたが一般人のため特に情報はありませんでしたが、お母さんのすすもあり、瀬戸大也選手はスイミングを始めたのです。
母の瀬戸内一美さんは全く泳ぐことができなかったそうですが、大也選手が活発で体力もある子だったことから、毎日体を動かすことができる近所のスイミングスクールに入会させたのが、瀬戸大也選手の水泳を始めたきっかけです。
また一美さん自身は水泳ができなかったことから大也さんも水が嫌いなったら困るという気持ちもあり、水泳を始めたんです。
瀬戸大也選手は毎日のようにスイミングに通っていたので、そりゃあうまくなりますよね!
幼少期や小学生時代はスイミングの送り迎えもありますし、瀬戸大也選手が頭角を現すようになってからは試合や遠征などもあり、サポートするために専業主婦だったのではないでしょうか?
瀬戸大也選手は小学生の頃から全国大会に出場するような選手になっていましたので、日々の練習の送迎だったり、全国大会に出場していましたが、親が付き添う必要がありますよね。
瀬戸大也の母親の献身なサポート
また小学生時代からライバルだった萩野公介選手には中学2年生の全国ジュニアオリンピックカップ水泳競技大会男子400m個人メドレーまでは1度も勝つことができなかったんです。
萩野公介さんとは小学3年生の時に同じスイミングスクールで出会い、萩野公介さんは瀬戸大也さんより、全然早くて当時は憧れの存在だったそうですよ。
だんだんとライバルになって、でもどうしても萩野公介さんには勝つことができなかったんです。
負けて悔しい時には、お母さんがいつもサポートしてくれていて、瀬戸大也選手を励ましてくれていました。
「負けて悔しいという気持ちが生まれる2番手はいいことなんだよ」と瀬戸大也選手の気持ちを前向きにしてくれる言葉を言ってくれました。
その言葉通り、瀬戸大也選手は悔しい気持ちを全て練習に注ぎ中学2年生の全国ジュニアオリンピックカップ水泳競技大会男子400m個人メドレーで遂に萩野公介選手に勝つことができました。
瀬戸大也選手は、両親の全力のサポートがあったからこそ、子供の頃から水泳選手として頭角を現し、ここまで強い選手に成長されました。
練習を頑張ったのは瀬戸大也選手ですが、そこまでの過程を支えてきたのは両親だったり、周囲の方々です。
瀬戸大也選手は10歳の時からずっとコーチをしてくれていたベテランコーチの元から離れて同級生に自信のコーチを依頼するなど、少しずつ瀬戸大也選手の中に変化が起きていました。
もう結婚しているので、自分のことは自分で全て決めたいと思ったのかもしれません。
しかしその結果、周囲の人や両親や奥様の馬淵優佳さん、子供にまで悲しい思いをさせてしまっています。
瀬戸大也の母は結婚に反対していた?
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瀬戸大也の嫁の馬淵優佳さんと母の一美さんの嫁姑関係はとても良好なんだそうです。
騒動が起きる前はよくお互いの家に遊びに行ったり食事したりと、孫のことや優佳さんのこともとても気に入っていたんです。
しかし結婚前はこんな発言もされていました。瀬戸大也選手が23歳の時に結婚したい人がいると伝えると母一美さんは
「まだ結婚は早いんじゃないの?」と言ったそうなんです。
その言葉の真意は、東京オリンピックを目指すのであれば、競技に集中できなくなるから・・・というものでした。
しかし瀬戸大也さんの口から、結婚に真剣に向き合っている意思を確認すると
「それなら今すぐ結婚した方がいい」と賛成してくれました。
また結婚したら「とにかく奥さん(優佳さん)のことを大事にしなさいよ」と息子さんに伝えたそうなんです。
「とにかく奥さん(優佳さん)のことを大事にしなさいよ」
母である一美さんはどんな意味をこめてこの言葉を大也さんに言ったのでしょうか?
今となれば複数の意味に捉えられてしまいますが、結婚したら自分だけでなく奥さんのことを大切にしないと家庭は上手くいかない。ということですよね。
瀬戸大也の妹は?
瀬戸大也さんには妹がいます。名前は瀬戸琴美さんで年齢は20歳です。
瀬戸琴美さんも幼少期から水泳とチアリーディングを習っていましたが、途中から水泳ではなくてチアに専念されています。
現在もチアは続けていて、これまでもチアの大会に出場して優勝されています。具体的には
全日本選手権で優勝さらには、アメリカフロリダ州ディズニーワールドで世界大会にも出場されているんです。
美琴さんもすごい方だったんですね!
まとめ
今回は瀬戸大也さんの実家や、実家の家族について紹介しました。
ここまで瀬戸大也さんが成長したのも両親の教えがあったからですよね。
子供が2人とも世界で活躍する選手に育つなんてすごいなと思いました。