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津野米咲の実家や家族構成は?父母両親や兄弟も調査!

津野米咲さんの実家や家族構成について、父母や両親はどんな人なのか、兄弟もいらっしゃるのか調べてみました!

津野米咲の実家はどこ?家族構成は?

 

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津野米咲さんは東京都出身です。

実家の詳しい場所については詳細は不明ですが、津野さんがバンドを組んでいた「赤い公園」の地元は立川です。

メンバーは、東村山西高校の軽音楽部のメンバーです。立川にあるライブハウス「立川BABEL」を拠点にし活動を始めた4人組のガールズバンド。

このことからも津野さんのご実家は西東京市方面だと思われます。

立川市の付近だと、武蔵村山市、東大和市、国分寺市、国立市、小平市などが立川市付近になります。

また赤い公園のメンバーが通っていた、東村山西高校からも立川市は割と近いので、メンバーの地元や津野さんの実家も立川市近辺になりそうですね。

津野米咲の家族構成は?

 

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津野米咲さんの家族は全員音楽に携わっていて音楽一家の娘として育ちました。

家族構成は5人家族で、父母と、兄が2人いらっしゃいます。

津野さんの母親はピアニスト

父親もエレクトーン演奏者

一番上の兄はギターが弾ける

2番めの兄はドラム奏者

そして祖父は作曲家の津野陽仁さんです

ピヨピヨ
ピヨピヨ

CMソングの『ロート製薬』『エースコックのワンタン麺』のテーマを作曲された方ですね!

祖母は、宝塚出身という芸術一家の娘として育った津野さん。

家族全員が楽器ができるので、家族でセッションをしたりと小さいころから常に音楽が隣合わせでの環境で育ちました。

両親や兄の音楽の影響は、津野米咲さんにも伝わり、津野さんは幼少期からエレクトーンを習い始めて、高校1年生からギターを始めたのです。

元々の環境がすごかったので、津野さんは高校生からギターを始めたにも拘らず、かなりセンスが良く演奏者としてとても上手かったそうです。

そして作詞作曲もこなすようになりました。

そんな津野さんの音楽の才能は素晴らしものがあり、周囲も津野さんのことを天才と呼ぶくらい音楽センスはずば抜けていたんです。

津野米咲の経歴

津野さんは、高校時代のメンバーで組んだ「赤い公園」のギターコーラスを担当し、バンドの楽曲も作詞作曲していました。

2010年に結成したバンドだったのですが、2年後の2012年にはメジャーデビューを果たすなど、僅か2年でデビューするなどかなり勢いがあるガールズバンドとして話題になりました。

やはりバンドの中心にいたのが津野米咲さん。

津野米咲さんの音楽の才能が全て詰まったような楽曲は多くの人の耳に届きまたファンも増えて、キャッチャーなメロディーや繊細な歌詞に共感する人は増えていきました。

2014年には、日本レコード大賞の「優秀アルバム賞」も受賞されています。

津野さんは、自分のバンド「赤い公園」だけでなく、SMAPや、モー娘などの大物アーティストにも楽曲提供をされていました。

SMAPには「joy!」

モー娘には「泡沫サタデーナイト!」

の曲を提供されています。この時津野さんは、まだ22歳でした。

津野さんの才能だったり人柄はかなり評価されていましたが、ご本人は苦しい時間も多かったようです。

以前雑誌のインタビューでこんなことを話していました。

「バンドが仕事になってから、曲が作れなくなる恐怖心といつも戦っている。ちょっと自分でダメだなと思う曲ができただけでもその恐怖心のことばかり考えちゃうんです」

と話していました。

若干22歳という若さでSMAPやモー娘。に楽曲提供は本当にすごいことですが、津野さんご本人は、周囲からは想像できないプレッシャーを感じながら仕事として楽曲を作っていたのかもしれないですよね。

バンドが仕事になってからという言葉が気になりました。

大好きな音楽を、友達とガムシャラにバンド活動していた頃の方がきっとプレッシャーも感じることなく楽しかったのかもしれません。

好きなことも仕事となると、また違った見方になってしまうと思います。

津野さんの才能を羨ましい、スゴイ!と思う人がたくさんいる一方で、津野さんにしか分からない悩みを抱えていたのかもしれません。

津野米咲さんのご冥福をお祈り申し上げます。