WANDS

WANDSのボーカル交代はなぜ?歴代ボーカルと上杉昇脱退理由について!

1990年代、圧倒的な人気を博した、3人組ロックバンドWANDS。

発売されたWANDSのシングルCDの売上枚数は、毎回、ミリオン(100万枚)の連発で、当時は、街中のBGMから、常にWANDSの曲が、当たり前の様に流れていました。

しかし、曲調の変更などで人気に陰りを見せると、1996年にメインボーカルの上杉昇さんが突然の脱退を表明し、活動停止となります。

1年後にメインボーカルを、和久二郎さんに交代して、WANDSを再稼働するも、CDの売れ行きは鳴かず飛ばずで、5年後にはWANDS解体となってしまいました。

それから、約20年の時を経た2019年、メインボーカル上原大史を要し、WANDSが再び活動を始めました。

3代目ボーカル、上原さんの歌唱力は歴代のボーカル2人と比べても遜色なく、大変素晴らしいね!
それにしても、WANDSの度々の交代劇はなぜ起こったの?

今回、WANDSの歴代ボーカル、上杉昇さん、和久二郎さんの紹介とそれぞれの交代理由、さらに、3代目ボーカル、上原大史さんについてまとめました!

WANDSの歴代ボーカルを紹介

WANDSは、1991年発足から2021年現在までに、メンバー変更や活動停止、解体など様々な出来事を経てきた、3人組ロックバンドです。

WANDSはメンバー構成ごとに、第1期~第5期と分けて呼ばれています。他のバンドと違って、最も特徴的なのは、メインボーカルが3人も交代している事でしょう。

画像WANDS – Wikipediaより引用

上記の通りこれまでのボーカルは3人です。

・上杉昇

・和久二郎

・上原大史

歴代の1代目ボーカル「上杉昇」、2代目ボーカル「和久二郎」について、紹介します。

WANDS 1代目ボーカル 上杉昇(うえすぎしょう)

上杉昇さんは、第1期、第2期(1991~1996) WANDS全盛期時代を担った、初代ボーカリストでした。

上杉昇さんがWANDS 加入に至った経緯

上杉昇さんは、中学生の頃から、ガンズ・アンド・ローゼズや、LOUDNESSなどのロックバンドに憧れ、高校時代には、アマチュアバンドを結成し、地元でライブ活動をしていました。

上杉昇さんは、高校卒業後には、当時LOUDNESSが所属していた音楽事務所「Being」の音楽スクールに通いました。

そこで、Being主催のオーディションに何度が出場しているうち、音楽プロデューサーでオーディション主催者の長戸大幸氏に、目を掛けられ、バンド構想の話を持ち掛けられます。

1991年、長戸大幸プロデュースの元、同じオーディション出身のギター奏者、柴崎浩氏、キーボード奏者で作曲家の大島康祐氏と組み、ロックバンドWANDSを結成するに至ります。

上杉昇 WANDS時代のエピソード

上杉昇さんは、1991年、WANDSのボーカルとして、メジャーデビューしました。

大きく活躍したのは、キーボードの大島氏が木村氏に交代した頃の第2期で、中山美穂&WANDSとしてリリースしたシングル「世界中の誰よりきっと」がミリオンセラーを記録しました。

1992年には、NHK紅白歌合戦で出場した中山美穂さんのサポートメンバーとして参加しています。

さらに、1993年には、CD総売り上げ枚数が、シングルで400万枚越え、アルバムで300万枚越えを記録。その年の「日本ゴールドディスク大賞」を受賞しています。

WANDS 2代目ボーカル 和久二郎(わくじろう)


和久二郎さんは、WANDS第3期(1997~2000年)  上杉昇さんから看板を引き継いだ、2代目のボーカリストです。

和久二郎 WANDS加入前はジャニーズJr!その後一度トラック運転手に転身していた!!


和久二郎さんは、15歳の頃に高校を中退し、その後、芸能界に興味を持ち、ジャニーズ事務所のオーディションを受けています。

そのオーディションで、ジャニー喜田川氏から食事に誘われ、そのまま、ジャニーズ事務所に入所したとの事。

和久二郎さんは、本名の「松元治郎」として、15歳から20歳までの5年間をジャニーズJrとして過ごしました。

まさかジャニーズJrだったとはちょっとビックリしたよね

そこでは、SMAPの前身グループであるスケートボーイや、光GENJIのバックダンサーグループであった、平家派のメンバーとして活動していました。

しかし、ジャニーズとして、芸能界デビューは叶わず、20歳でジャニーズ事務所を退所、その後、トラック運転手として約6年間勤務しています。

トラック運転手から再び芸能界に復帰!そして2代目WANDS ボーカルとしてデビュー!!

和久二郎さんは、ジャニーズ事務所を退所し、運送会社で勤務していましたが、芸能界への未練を断ち切れずにいました。

そんな中「Being」主催のオーディションの事を知り、ダメ元でデモテープを送りました。

そのデモテープで唄っていたのは、WANDSの楽曲「Little Bit…」だったのですが、その声は、上杉昇さんそのものと事務所内で話題になったそうです。

すぐに「Being」スタッフから和久二郎さんへ電話があり、和久二郎さんはスタッフにこう言われました。

「WANDSの2代目ボーカルとしてデビューしてほしい」

これを聞いた、和久二郎さんは、通常のボーカリストオーディションとして、応募していたので、「wands」というワードに、最初はとても戸惑いました。

しかし、事務所社長からの強い説得もあり、覚悟を決め、WANDS2代目ボーカルとしてのデビューを決意します。

メンバーは、ギターの杉本一生氏、キーボードの木村真也氏で構成、新生WANDSとして華々しくデビューしました。

和久二郎さんのWANDS時代のエピソード

和久二郎さんは、WANDS時代の3年間で、シングル4枚、アルバム1枚を発表しました。

その中でも、アニメ「ドラゴンボールGT」のエンディング曲にもなった1枚目のシングル、「錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう」は、シングル枚数20万枚越えのヒットを記録しました。

しかし、その後は低迷し、シングル4枚目の売上では、わずか1.5万枚と過去最低売上枚数を記録、事務所の以降でWANDS「解体」が決定してしまいました。

そして同時に、和久二郎さんも、ソロ活動の為、事務所を退所されています。

WANDSの初代ボーカル上杉昇の交代はなぜ?


上杉昇さんがWANDSを脱退したきっかけは主に以下の3つ挙げられます。

・事務所との音楽性の違い

・CD売り上げの落ち込み

・尊敬するミュージシャンの死去

順番に説明していきますね!

・上杉昇 脱退のきっかけ1 【事務所との音楽性の違い】

上杉昇さんは、元々、音楽事務所「Being」に加入した理由は、その当時、「Being」に所属していた、ヘヴィメタルバンド「LOUDNESS」に憧れていたからです。

しかしWANDSは、音楽ジャンルでいうと、その当時の流行りであるデジタル系のポップミュージック。上杉昇さんがやりたかった、ヘヴィメタル調の音楽とはかけ離れたものでした。

上杉昇さんは、デビュー当初から、自分のやりたい音楽と違うという思いがずっとあったと語っています。

・上杉昇 脱退のきっかけ2 【CDの売上の落ち込み】

実は、WANDSを脱退する直前のシングル3曲は、今までのポップスとは違う、上杉昇さんの強い意向を組んで楽曲されたヘヴィメタルロック調の曲でした。

しかし、そこでCDの売上は激減してしまいました。

これを受け、当然ながら、事務所は上杉さんに、楽曲を従来のポップス系の曲調に戻そうと提案します。

しかし、上杉昇さんは、これに首を縦に振る事ができず、WANDS脱退の意志を固めました。

好きな音楽をやりたい。しかし、それにファンがついて来なければ、CDは売れませんし、事務所も容認できませんよね。

やりたい音楽とビジネスの両立はそれだけ難しいという事だね。。。

・上杉昇 脱退のきっかけ3 【尊敬するミュージシャン「カート・コバーン」の死】

上杉昇さんは、ある取材でアメリカのロックバンド、「ニルヴァーナ」のボーカル兼ギターリストだった「カート・コバーン」の自殺が、日頃からくすぶっていたWANDS脱退の思いに背中を押したと語っています。

カート・コバーンは、遺書にこう残していました。

この遺書の言葉を、上杉昇さんはWANDSとして、本意ではないデジタル調ポップスをずっと唄ってきた自分に、置き換えて考えてしまったのではないでしょうか。

「どうせ死ぬなら、本当に自分が好きと思う音楽をこの世に残して死にたい」

その思いが、上杉昇さんをWANDS脱退の思いへと突き動かしました。

WANDSの2代目ボーカル和久二郎交代はなぜ?

和久二郎さんは、1997年~2000年の3年間、WANDSの2代目ボーカルとして活動し、その後、(WANDS)解体となっています。

解体した理由ですが、単純にCDの売上が、第1期、第2期と比べて、振るわなかったからでしょう。

では、なぜCDの売上が振るわなかったのか?

それは、和久二郎さんがWANDS2代目ボーカルに就任したのが、初代ボーカルの上杉昇さんが脱退して、わずか1年余りと期間が短かった事が原因と思われます。

これだけ期間が短いと、いくら和久二郎さんの歌唱力や楽曲が良くても、「WANDS=上杉昇」のイメージは拭いきれず、往年のファンは受け入れる事が難しかったのかもしれませんね。

まだ歌手としてデビューしたての和久二郎さんに「WANDS」の看板はあまりにも重すぎたという事でしょう。

WANDSは一度解散している?

WANDSは、上杉昇さんが脱退した際に、活動停止1回、そして和久二郎さんがボーカルを務めた第3期で、事務所の意向で、解体(解散)を1度しています。

ただ当時は、WANDSの解体よりも、その前の上杉昇さんのWANDS脱退の方が、音楽業界に衝撃を与えました。

WANDSが復活!ボーカル3代目上原大史について

上原大史さんは、WANDS第4期、第5期(2019~2021)の 3代目ボーカリストです。

WANDS加入前はビジュアル系アーティスト!現在もWANDSと並行してバンド活動継続中!

上原大使さんは、2012年にバンド名「Ray℃」として活動、その時の上原さんの呼称は「愛玖」でした。

その後、バンド名を「オトイロハ」に改名にして2015年まで活動していましたが、解散しています。

解散後、上原大使さんは、音楽事務所「Being」に所属、名前を「灰原大介」と改名し、ボーカリストの他、作詞、作編曲家として、楽曲を提供するなど、幅広く活動しています。

2015年、V系バンド「真天地開闢集団-ジグザグ」を結成。名前を「命(みこと)」と改名して、現在も活動を続けていて、コアなファンに支えられ、人気バンドとなっています。

上原大史がWANDS 加入に至った経緯

 

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上原大史さんがWANDSに加入するに至った経緯は、音楽プロデューサー長戸大幸氏からの猛烈なラブコールがきっかけです。

長戸大幸氏が、WANDS初期メンバーであった、大島氏、柴崎氏と、とあるライブで再開した際、WANDS復活の話で盛り上がったそうです。

そこで長戸大幸氏が考えたのが、「Being」に所属しているアーティストである上原大史さんのメインボーカル起用でした。

長戸大幸氏は、日々の電話や、エレベーターのすれ違いざまなど、事あるごとに、「wandsのボーカルやってよ」とかなりしつこく声を掛けていたそうです。

最初は、冗談と受け取って、聞く耳を持たなかった、上原大史さんも、あまりにしつこい要請にとうとう根負けし、受ける事を承諾したとの事。

WANDSの初代ボーカル上杉昇の現在は?

上杉昇さんの現在ですが、2006年にオルタナティブ・ロックバンド「猫騙」(ねこだまし)を結成し、今もその活動を続けています。

オルタナティブ・ロックとは、上杉昇さんが尊敬するバンド、ニルヴァーナによって、メジャーとなった、ヘヴィメタル・ロックから派生したとされる音楽ジャンルです。

上杉さんは、WANDSを経て、本当にやりたかった音楽を見つけて、その中で精力的に活動を続けています。

WANDSの2代目ボーカル和久二郎の現在は?

和久二郎さんの現在ですが、2020年7月まで、ソロ活動をしながら、10年間、オーナーとしてBARを経営されていました。

しかし、2020年8月以降、芸能界を完全に引退し、経営していたBARも別のオーナーに引継ぎ、今は会社員として勤務されています。

ソース画像を表示FRYDAYより引用

和久二郎さんは、WANDSとしてではなく、別名のロックバンドとしてデビューしていれば、もっと売れていたのではないかと、業界では言われています。

まとめ

WANDS歴代ボーカリストのまとめ

1代目ボーカル 上杉昇さんは、全盛期のWANDS、初代ボーカルでした。しかしながら、事務所との音楽性の違いから1991年の結成から5年後の1996年に脱退しました。

上杉さんは現在、バンド「猫騙」で自分が本来やりたかった音楽を表現し続けています。

2代目ボーカル 和久二郎さんは、上杉昇さん脱退の1年後に、WANDSに加入。しかし、絶頂期だったWANDSの初代ボーカル上杉さんの印象を払拭できず、WANDSは解体となりました。

和久二郎さんは現在、芸能界から離れ、一般の会社員となっております。

3代目ボーカル 上原大史さんは2019年、約20年の時を経て、復活したWANDSにメインボーカルとして加入。

上原大史さんは、V系バンド ジグザグ-命(みこと)という別の顔をもつ、今後も注目のアーティストです。

そんな上原大史さん率いる第5期WANDSは、今後、どんなパフォーマンスを見せてくれるのか非常に楽しみですね!!